糸平のルーツは、幕末から明治にかけて激動の人生を送った一人の快男子・田中平八にはじまります。
糸平興産の社主・田中家の先祖である初代田中平八は、1834年(天保5年)、信州赤穂(長野県駒ヶ根市)で産声をあげました。25歳頃にはすでに雄飛を志し、黒船の来航で賑わいはじめた開港直前の横浜に出向いて、商売をするようになります。その間、仕入れた商品を積んだ船が難破し、全財産を失うといった困難に何度も遭遇。しかし持ち前の強靭な精神力で消沈することもなく、信州から生糸を仕入れる機会を得て輸出に成功します。
32歳になると、横浜南仲通二丁目に「糸屋」の商号で店を構えるに至り、両替商と生糸・茶などの輸出で次第に盛業へ。「糸屋の平八」「糸平」として、世に知られる人物へと飛躍を遂げたのでした。
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